私とアイドル。
塚田修一・松田聡平『アイドル論の教科書』(青弓社、2016年)を読んでいる。
通っていた大学の図書館の蔵書検索で「キーワード検索:アイドル」と入れてこの本を見つけた。
これが非常に面白い。
まだ、塚田氏の書かれた「文系篇」という項目しか読めていないのだが、社会学的な視点から、アイドルとファンの関係性、アイドルグループによる時間の捉え方の違い、アイドルの歴史などが論じられている。
特に、女性アイドルの男性ファンは“疑似恋愛”という言葉で表現されるような、「所有」への欲望が前提になっていて、48グループの握手会は「接触」や「認知」によってまさにその欲望を満たすものだったが、男性アイドルの女性ファンは、男性アイドルグループの「グループ性」=「メンバーの関係性」を消費していて、メンバー同士の「絡み」や「わちゃわちゃ」が大好きで、それこそ最大の「萌え」なのだ、という記載が大変興味深かった。
そしてその志向は、女性アイドルの女性ファンにも見て取れる、近年は男性ファンにも転移しつつあるとのことだ。(例として、NMB48の山本彩と渡辺美優紀の「さやみる」が挙げられている)
私はどうだろうか。
唐突にこんなことを言い出して意味不明だなぁと自分でも思うが、私は上記の文章を読むずっとずっと前から「関係性オタク」を自称していた。
アニメや漫画で、2人以上のキャラクター間に生じる「関係性」に激しく萌える。
特に好きな「関係性」タイプもあるがそれを語り出してしまうと、アイドルとは全く別の方向に行ってしまうので割愛する。
とにかく、塚田氏の書かれた「絡み」や「わちゃわちゃ」に関する文章は、えっ、この本私が執筆したっけ?というくらい私の考えと一致した。
しかし、果たして私は女性アイドルに対しても「関係性オタク」なのだろうか?
過去に私が推してきた小木曽汐莉はゆっこ(木下有希子)やゆりあ(木崎ゆりあ)とコンビみたいなところがあったし(この頃って、コンビ名みたいなものってありましたっけ)、二村春香も古畑奈和ちゃんや宮前杏美ちゃんと仲良しだった。
と、いうことは把握しているが、二次元で私が関係性オタクやっているように、推しと誰かとのペアで大好き!ということは無かったなぁと当時を振り返って思う。
そして、現在の推しの荒野姫楓。もう、なんというか、今までの比じゃない。
彼女は同じ9期の池田楓ちゃんが大好きで、自分自身で「ひめかえで」というコンビ名を作り、自ら「池田楓のTO」を名乗っている。
それをかえにゃん(池田楓)がなんともまぁめんどくさそうに受け入れてあげているのが可愛いなぁ、推せるなぁ、とは思ってはいるのだが、私の関係性オタクセンサーがビビッとくるほど、このひめかえでコンビも「大好き!」というわけではない。
私は、アイドルの推しに対しては、「関係性オタク」してないのだ。
今でこそかえにゃんのひめたん(荒野姫楓)へのあしらい方がわかったから、そんなことは思わないが、当初私はあまりにひめたんがかえにゃんを好き好き言うので若干かえにゃんに嫉妬していた。
自分の「好き」の方が、きっと、上回っているのに、と思っていた。
・・・・・
私は「好き」と思ったものに対して「好き」を表現することが好きだ。
元々私は、ディズニーのハロウイーンイベントで仮装をする“Dハロ仮装民”だったのだが(今もそう)、素敵だ!と思う仮装の方が居たらツイッターでも「FF外から失礼します!」と言って好きですという旨のリプを送ったし、東京ディズニーリゾートのパーク内でも積極的にお声掛けする。
素敵ですね、好きですね、という言葉は本人に伝えないといくら想っても伝わらないし、私がその言葉を伝えたことでご本人が少しでも「この衣装作って良かったな」とか「このキャラクターだってわかってもらえて嬉しいな」とか思ってくださったらいいなと思う。
「好き」と伝えられて嫌な気持ちになる人はいないはず、というのが私の考えだ。
こんな、若干愛が重い私なので(この点はたぶんひめたんに通じるものがある)、「アイドルを推す」ということはぴったりの趣味だった。
「好き」を伝えたら伝えただけ、アイドルは喜んでくれるし、応えてくれる。
私のことを覚えて(認知)してくれたり、公演でレスをくれたりお見送りで反応してくれたり、私が送った質問にブログで答えたりしてくれる。
私ももっともっと「好き」を表現(=握手券をたくさん買ったり、公演に入ったり)したくなる。
友人や恋人に向けたとするとだいぶ重くてメンヘラちっくな私の「好き」は、アイドルに向けるには都合が良かった。
しかし、メンバー同士のイチャイチャ(=わちゃわちゃ?)を見ると、アイドルと私の間に存在する絶対に絶対に超えられない違い、バリアみたいなものを強く感じる。
推しにとって、ステージ上でイチャイチャしているメンバーみたいな存在に私は一生なれない。
どんなにお金を費やしても。どんなに時間を犠牲にしても。
だからこそ、私は、このアイドル現場においては「アイドルであるメンバーとファンである自分」という関係性に重きを置いているのだろうなと思う。
あくまでも「私はファン」であって、「ファンだからこそできる応援の仕方」が好きだ。
メンバー同士ならきっと推しと仲良くはなれるし、LINEとかも交換できるし、四六時中一緒に居られるけど、私達ファンのように握手券を買ったりだとか、公演にお金を払って入ることはできない。
それはファンにだけ許されている、「好き」の表現の仕方だ。
と言っても実際のところ、同じステージに立っている、ひめたんにくっつかれているメンバーを見て嫉妬しているのだから、結局上記は私が自分自身を納得させるための言い訳なのかもしれない。
・・・・・
先日、AKB48の本田そらちゃんの生誕祭に入った時に、お隣に居た女性ファンの方がそらちゃんのスピーチを聞いて涙し、うん、うんとたくさん頷いていた。
その方のことはなんにも知らないし、言ってしまえば本田そらちゃんのこともその2日前に覚えたような私だったが、その女性ファンの方に対して、「良かったなぁ」と思った。ジーンとした。
私達ファンは、推しの人生の「アイドル」という期間だけに登場する、名も無いモブだ。
でも、私達にとって推しは唯一無二の存在で、自分の時間やお金を費やしている。
いつだって、推しの幸せを考えている。
私達の人生において、自分の存在がどのくらいのパーセンテージを占めているのか推しは知らない。
でもこの一生叶わない、一生変わらない、一生伝わることのない関係性こそ、私がアイドル現場で一番推している関係性タイプなのだろう。
塚田さんの「アイドル論」の研究に、女性ファンでこんなことを考えている奴もいるという事例がいつか加わるといいなと思う。
・・・・・
<2019.3.25 15:40 追記>
そうだそうだ、懐かしい。